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清姫と道成寺の鐘 — 絵巻から能・歌舞伎へ受けつがれた物語

清姫の物語がいまも生きているのは、語られ、演じられ、踊られることで、何百年もかけて姿を変えてきたからです。熊野詣の道で生まれた一人の娘の話は、寺で絵巻を広げて語られ、能の舞台では「その後」の物語になり、歌舞伎では華やかな踊りになりました。ひとつの話が、どうやってこれほど多くの芸能に枝分かれしていったのかをたどってみます。
熊野詣の道で生まれた物語
物語のあらすじは、図鑑の清姫のページにまとめたとおりです。熊野へお参りする若い僧・安珍に恋をした清姫が、約束を破られたと知って後を追い、日高川で大蛇になり、道成寺の鐘に隠れた安珍を鐘ごと焼いてしまう――という話です。
この話は古く、『今昔物語集』などの説話集に、名前のない女と若い僧の話として書きとめられています。そこでの結びは、亡くなった二人がのちに法華経の力で救われる、というものでした。つまりもともとは、お経のありがたさを伝える仏教の説話でもあったのです。「安珍」「清姫」という名前は、のちの時代に語りつがれるなかで定着していったといわれています。
絵巻を見せながら語る「絵とき」
和歌山県の道成寺には、この物語を描いた『道成寺縁起』の絵巻が伝わっています。絵巻には、清姫が少しずつ大蛇の姿へと変わっていくようすが、場面を追って描かれています。
道成寺では、絵巻を広げながら僧が物語を語って聞かせる「絵とき」が行われてきたことで知られています。字が読めない人にも、絵を指さしながら語れば物語は伝わります。人々は絵を見て、耳で聞き、清姫の思いの激しさと、そこから救われるまでの道のりを心に刻んだのでしょう。
能「道成寺」— 物語の「その後」
能の「道成寺」は、清姫の物語をそのまま舞台にしたものではありません。描かれるのは、ずっと後の時代の話です。
長く鐘のなかった道成寺に、新しい鐘が納められ、鐘の供養が行われることになります。そこへ一人の白拍子(舞をなりわいとする女性)がやってきて、供養の舞を舞わせてほしいと願います。白拍子は舞ううちにすきを見て鐘を落とし、その中へ姿を消してしまいます。じつはその白拍子こそ、かつて鐘を焼いた大蛇の化身だったのです。
鐘が落ちる「鐘入り」の場面は、この能のいちばんの見せ場として知られています。舞台に吊られた作り物の鐘のなかへ、舞手が飛びこむ一瞬に、観る人は息をのみます。やがて僧たちが祈ると、鐘の中から蛇の姿となった女があらわれ、最後は日高川へと去っていきます。
歌舞伎「娘道成寺」と、鱗の模様
能の「道成寺」をもとにして、歌舞伎では「京鹿子娘道成寺」という踊りが生まれました。白拍子の花子が、鐘の供養の場でさまざまな踊りを次々と見せていく演目で、恋する娘のいろいろな表情を踊り分けるところに見どころがあります。歌舞伎の女方の舞踊のなかでも、とくに大切にされてきた作品のひとつです。
清姫の物語をもとにした芸能はとても多く、まとめて「道成寺もの」と呼ばれます。そうした舞台では、三角形を並べた鱗の模様が、蛇に変わった女を表す模様として衣装に使われてきました。ピクセル妖怪のドット絵で、白い大蛇に鱗を描いたのも、この模様を意識したからです。
恋した人を追いかけた一人の娘の話は、恐ろしさだけでなく、その思いの強さごと舞台の上で何度も生き直してきました。同じように、女の思いが鬼に変わる物語としては、図鑑の橋姫もあわせてどうぞ。妖怪マップでは、和歌山の道成寺に清姫がいます。