◀ よみもの一覧へ ピクセル妖怪

STORIES

九尾の狐と那須の殺生石 — 石になった玉藻前の伝説

九尾の狐殺生石那須玉藻前

九尾の狐

栃木県の那須には、近づいた鳥や獣の命を奪うと恐れられてきた石があります。その名も「殺生石」。この石は、かつて都を惑わせた九尾の狐が、討たれたあとに姿を変えたものだと語られてきました。美女と大狐と、毒の石。三つがひとつにつながる、日本でいちばん有名な狐の伝説をたどってみます。

御所に現れた美女・玉藻前

物語の始まりは、平安時代の終わりの都です。鳥羽上皇の御所に、玉藻前という美しい女性が仕えるようになりました。見た目が美しいだけでなく、どんな難しい問いにもすらすらと答える、たいへんな物知りだったといわれています。上皇は玉藻前をたいそう気に入り、そばから離さなくなりました。

ところが、やがて上皇は原因のわからない病に伏せってしまいます。陰陽師が占ったところ、病の元は玉藻前その人で、その正体は年を経た九尾の狐だ、と見破られました。お祓いの場で正体を現した狐は、御所を逃げ出し、はるか東の方へ姿を消した――という話が残っています。

那須野の狐狩り

狐が逃げこんだ先は、下野国(いまの栃木県)の那須野でした。朝廷は東国の武士たちに、狐を退治するよう命じます。広い野を逃げまわる狐はなかなか仕留められず、武士たちは苦心のすえ、ついに矢を射かけて狐を倒したといわれています。

けれども、話はそこで終わりません。倒れた狐は大きな石に姿を変え、そのそばに近づく鳥や獣、人までもが、次々に命を落とすようになったのです。生き物を殺す石、ということで、人々はこれを「殺生石」と呼んで恐れました。九尾の狐の恨みが、石になってもなお残っている――そう考えられたのでしょう。

石を割った僧と「げんのう」

この恐ろしい石を鎮めたのが、玄翁(源翁)という禅僧だったと伝えられています。那須を訪れた玄翁が石に向かって供養をおこない、石を打つと、石は割れて砕け散り、狐の霊はようやく救われた、という話です。

この場面は、能の「殺生石」にもなっています。旅の僧の前に里の女が現れて石のいわれを語り、やがて狐の霊が姿を見せる――という筋立てで、いまも演じられています。

また、大工道具の金づちの一種を「げんのう」と呼ぶのは、この玄翁和尚の名からきている、という説もあります。石を割った和尚の名前が、石を打つ道具の名前になった、というわけです。

毒気の正体と、いまの殺生石

では、石のまわりで生き物が死んだという言い伝えは、まったくの作り話なのでしょうか。殺生石があるのは、温泉がわき出る火山のふもとです。こうした場所では、地面から火山性のガスが出ていることがあり、虫や小さな生き物が弱ってしまうことがあります。昔の人は、その目に見えない毒を、九尾の狐の恨みとして語り伝えてきたのだと考えられています。

江戸時代には松尾芭蕉も『おくのほそ道』の旅でこの石を訪れ、毒気がまだ消えておらず、石のまわりに虫が重なって死んでいる様子を書きとめています。そして2022年には、注連縄(しめなわ)を巻かれた石が二つに割れているのが見つかり、大きなニュースになりました。長く語られてきた伝説が、いまも人の心を動かしていることがわかります。

九尾の狐の姿や、中国から伝わった霊獣としての顔は図鑑の九尾の狐のページで。狐の妖怪の、もうひとつの顔を知りたくなったら妖狐のページもどうぞ。那須の殺生石は妖怪マップの栃木でも見つけられます。