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なまはげは鬼じゃない — 来訪神という考え方

なまはげのいちばん面白いところは、鬼のような姿なのに、追い払われずにもてなされることです。節分の鬼は豆をまかれて家の外へ追い出されます。ところがなまはげが来ると、家の主人は座敷に招き入れ、酒と料理を出して、ていねいに言葉を交わします。同じように角があって、こわい顔をしているのに、扱いはまるで正反対。その理由をたどっていくと、「来訪神(らいほうしん)」という考え方に行きつきます。
鬼は追い払われ、なまはげは迎えられる
秋田県の男鹿半島では、大晦日の夜、面をつけてわらの衣装をまとったなまはげが、集落の家々をまわるといわれています。「泣く子はいねがー」と大声をあげて上がりこみ、子どもたちは泣いて親にしがみつきます。
けれど、この行事の中心は、こわがらせることそのものではありません。主人はなまはげをもてなし、子どもたちがこの一年どう過ごしたかを話します。なまはげは怠けないように、親の言うことを聞くようにと言い聞かせ、家の無事を祝って帰っていく、という流れが伝えられています。迎える側にとって、なまはげは「来てもらう」存在なのです。
「来訪神」— 年の変わり目に、外からやってくる神
来訪神とは、決まった時期に、村の外や海の向こう、山の奥といった「よそ」から人びとのもとへやってきて、福をもたらしたり、悪いものを戒めたりして帰っていく神さまのことです。民俗学者の折口信夫は、こうした外から訪れる神を「まれびと」と呼んで考えました。
ふだんは村のなかにいない神さまが、年の変わり目という特別な夜にだけ姿を見せる。古い年と新しい年のさかいめは、昔から、目に見えないものが行き来しやすい時間だと考えられてきました。なまはげが大晦日にやってくるのも、この考え方の流れにあるといわれています。
こわい顔でやってくる理由
では、なぜ神さまなのに、あんなに恐ろしい顔をしているのでしょう。
よそから来る神は、村の人とはちがう、見慣れない姿をしているものだと考えられていました。異様な姿だからこそ、ふつうの人ではない、神さまが来たのだとわかる。こわさは、その力の強さのしるしでもあります。
名前の由来とされる「なもみ剥ぎ」も、この役割とつながっています。囲炉裏にあたってばかりいると手足にできる火斑(なもみ)を剥ぎに来る、つまり怠け心を剥ぎ取りに来る神さまです。叱られるのはこわいけれど、そのあとには新しい年を気持ちよく始められる。こわさと福が、ひとつの姿にまとまっているのです。
日本各地の「なまはげの仲間」
面や仮装をした神さまが家々を訪れる行事は、男鹿だけのものではありません。石川県の能登には、同じように火斑を剥ぐという意味の名をもつ「アマメハギ」が伝わっています。鹿児島県の甑島(こしきじま)には「トシドン」、沖縄県の宮古島には泥をぬりつけてまわる「パーントゥ」がいます。
2018年には、なまはげをふくむこうした行事が「来訪神:仮面・仮装の神々」としてまとめて、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。土地ごとに姿も名前もちがうのに、「年の節目に、こわい姿の神さまが外から来て、人を戒め、福を置いていく」という骨組みはよく似ています。
図鑑で見くらべてみる
図鑑のなまはげのページでは、面とわらの衣装をドット絵で描いています。同じ図鑑の鬼婆は、人が鬼になってしまった話をもつ存在です。見た目のこわさは似ていても、迎えられる神さまと、おそれられる鬼。並べてみると、「こわい顔」の意味がひとつではないことが見えてきます。妖怪と神さまの線引きについては、「妖怪・幽霊・神さまはどう違う?」の回もあわせてどうぞ。