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猫又と『徒然草』— 夜道で法師が出会った「猫また」の正体

猫又の話でいちばん面白いのは、この妖怪が七百年ほど前の随筆にもう顔を出していて、しかもその話が「こわい話」ではなく「笑い話」だということです。兼好法師が書いたとされる『徒然草』には、猫またのうわさにおびえた法師が、夜道でとんだ目にあう一段があります。猫又という名前が、それだけ昔から人の口にのぼっていたことがわかる話です。
『徒然草』の「猫また」さわぎ
『徒然草』は、鎌倉時代の終わりごろにまとめられたとされる随筆です。そのなかに、こんな話が出てきます。
ある人が「山の奥には猫またというものがいて、人を食うそうだ」と話していました。すると別の人が「山でなくても、このあたりでも、猫が年をとって猫またになり、人をとることがあるそうだ」と言います。
それを聞いていたのが、連歌(何人かで歌の句をつないでいく遊び)を好む、ひとりの法師でした。ある晩、法師は連歌の会から夜ふけにひとりで帰る途中、小川のほとりで、うわさの猫またにいきなり足もとへ飛びつかれます。法師は肝をつぶし、助けてくれと叫びながら、小川へ転げ落ちてしまいました。
家の人たちが明かりを持って駆けつけてみると、そこにいたのは法師の飼い犬。暗いなかでも主人の帰りに気づき、うれしくて飛びついただけだったのです。連歌の会でもらった品物も水びたし、法師はほうほうの体で家に逃げこんだ――という、なんともしまらない結末です。
山の猫又と、家の猫又
この話でおもしろいのは、うわさ話のなかに、猫又の二つのすがたがもう出そろっていることです。
ひとつは、山の奥に棲む猫又。人里はなれた山にいる、得体の知れないけものとして語られます。のちの時代にも、各地の山に猫又が棲んでいたという話が伝わっています。
もうひとつは、人の暮らしのそばにいる猫が、年をとって猫又に変わるというもの。こちらは身近なぶん、かえってぞっとします。毎日ひざの上で丸くなっている猫が、ある日うしろ姿を見たら尾が二つに分かれていた――そんな想像が、猫又の話をいっそうふしぎなものにしてきたのでしょう。
法師がふるえあがったのも、「このあたりでも」という一言があったからかもしれません。遠い山の話なら笑っていられても、自分の帰り道の話となると、急に暗がりがこわくなるものです。
二つに分かれた尾の言い伝え
猫又のいちばんの目じるしは、根もとから二つに分かれた尾です。そのため、尾の長い猫は年をとると猫又になる、といって嫌われたという話も伝わっています。子猫のうちに尾を短くしてしまったという言い伝えもあり、尾の短い猫が好まれた理由のひとつだとする説もあります。
もちろん、ほんとうに猫の尾が割れるわけではありません。けれど、ゆらゆらと二本に見えるほど自在に動く猫のしっぽには、昔の人も何かを感じずにはいられなかったのでしょう。
化け猫とどうちがう?
猫又と化け猫は、はっきり分けられないことも多い妖怪です。どちらも年をとった猫が化けたものとされ、人の言葉を話したり、人に化けたりするといわれます。いちばんわかりやすいちがいは、やはり二股の尾。尾が分かれていれば猫又、と覚えておくとよいでしょう。
化け猫の言い伝えは図鑑の化け猫のページに、佐賀の化け猫の物語は「鍋島の化け猫騒動」の回にまとめています。猫又そのものの言い伝えは図鑑の猫又のページでどうぞ。夜道で何かに飛びつかれても、まずは落ちついて――それがあなたの犬である可能性も、じゅうぶんにありますから。