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俵藤太の百足退治 — 瀬田の唐橋の大蛇と、三上山の大百足

大百足俵藤太滋賀退治伝説

大百足

滋賀県野洲市の三上山は、なだらかな円すい形の姿から「近江富士」とも呼ばれる山です。このきれいな山には、かつて山を七巻き半するほどの大百足が棲んでいた、という伝説が残っています。退治したのは、平安時代の武将・藤原秀郷。俵藤太(たわらのとうた)の名で知られる人物です。そしてこの物語は、山ではなく、琵琶湖から流れ出る川にかかる一本の橋から始まります。

瀬田の唐橋に横たわる大蛇

瀬田の唐橋は、琵琶湖の南の端から流れ出る瀬田川にかかる橋です。京の都と東の国々を結ぶ道の要所にあり、昔から多くの人が行き来してきました。

伝説によると、あるとき、この橋の上に大きな大蛇が横たわって、道をふさいでしまいました。人々はこわがって、だれも渡ることができません。そこへ通りかかったのが藤太です。藤太は少しもおそれず、大蛇の背中をそのまま踏みこえて、何ごともなかったように渡っていった、といわれています。

竜神のたのみごと

その夜、藤太のもとを、ひとりの女性がたずねてきます。女性は、昼間の大蛇は自分の仮の姿で、じつは琵琶湖の竜神にゆかりのある者だと明かしました。物語によっては、竜神の娘として語られたり、小さな男の姿で現れたりもします。

女性の話はこうでした。三上山に大百足が棲みついて、竜神の一族を苦しめている。大蛇の姿をこわがらずに渡ってみせた藤太の勇気を見こんで、どうか退治してほしい――。藤太はこの頼みを引き受け、弓矢を手に、三上山へと向かいます。

唾をつけた最後の矢

夜がふけると、三上山のほうから、たくさんの明かりが連なって近づいてきました。たいまつの長い列のように見えたものは、じつは大百足だったといわれます。

藤太は弓を引きしぼって矢を放ちますが、矢はかたい体にはね返されてしまいます。そこで藤太は、最後に残った矢の矢じりに唾をつけて放ちました。矢は大百足の眉間をつらぬき、大きな体はついに動かなくなった、と伝えられています。百足は人の唾をきらう、という昔からの言い伝えが、この場面の下じきになっているといわれます。

武士が弓で怪物を射る話としては、鵺を射落とした源頼政の話もよく知られています。ふたつを読みくらべてみるのも面白いかもしれません。

竜宮からのおくりもの

大百足を退治した藤太は、お礼に琵琶湖の竜宮へまねかれ、たくさんの宝物をおくられたと語られます。なかでもよく知られているのが、いくら米を取り出してもなくならない米俵です。「俵藤太」という呼び名を、この米俵に結びつける話もあります。ただし、呼び名の由来にはほかの説もあります。

大津の三井寺(園城寺)には、藤太が竜宮から持ち帰ったと伝わる鐘の話も残っています。三上山、瀬田の唐橋、三井寺と、この伝説はいまも琵琶湖のまわりの土地と結びついて語られているのです。

地図と図鑑で、大百足に会う

ピクセル妖怪の妖怪マップでは、大百足は滋賀県の三上山と瀬田の唐橋に顔を出しています。図鑑の大百足のページでは、たいまつのように光る黄色い目と、白いきば、くねくねと折れ曲がる赤い体に、金色の足をずらりと並べた姿で描きました。

武士に退治される妖怪といえば、土蜘蛛もそのひとつです。近江富士をながめる機会があったら、この山を七巻き半もしていたという、大きな大きな百足のことを、ちょっと思いうかべてみてください。