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「垢嘗が来るよ」— 夜の風呂場と、そうじの言い伝え

垢嘗は、人を追いかけたり、おどかしたりする妖怪ではありません。夜の風呂場にこっそりやってきて、垢をなめていくだけ。だからこそ、この妖怪は「こわい話」より「暮らしの教え」として読むと、いちばんしっくりきます。お風呂をほったらかしにしていると、垢嘗が来るよ――そんなふうに。
「垢嘗が来るよ」というしつけ
垢嘗は、手入れされずに垢がたまった風呂場に出るといわれています。裏を返せば、きれいにしてある風呂場には、なめる垢がないので来る理由がありません。
そこで垢嘗は、「風呂場はきちんとそうじしておきなさい」という教えとして語られることがあります。妖怪の名前を出して、子どもや家の人に言い聞かせる。「早く寝ないと〇〇が来る」と同じような、暮らしのなかの知恵です。
おもしろいのは、垢嘗が罰を与えるわけではないことです。来て、なめて、帰るだけ。それでも、自分の家の風呂場に夜な夜な何かが来ていると思うと、ちょっといやな気持ちになります。この「いやだな」という気持ちこそが、そうじに向かわせる力になったのかもしれません。
木の湯船と、たまっていく垢
昔の湯船や桶は、木でできたものが多くありました。木の風呂は肌ざわりがやわらかく、湯も冷めにくい。けれど、使ったあとに水気を切って乾かさないと、ぬめりや汚れがたまりやすく、木そのものも傷みやすくなります。
毎日の湯を使えば、垢はどうしても残ります。それをこすって流し、乾かして、また次の日に備える。風呂の手入れは、手間のかかる家の仕事でした。
垢嘗の言い伝えは、そうした手間を思い出させてくれます。湯船のふちのざらつき、桶の底のぬめり。それを放っておいた夜にこそ、何かがやってくる。言い伝えを知ってから風呂場を見ると、なんでもない汚れが少しちがって見えてきます。
夜の湯殿はくらい
垢嘗が出るのは、人が寝しずまった夜ふけだといわれています。
電気のない時代、夜の風呂場はとても暗い場所でした。湯気がこもり、水のしたたる音がひびき、すみのほうは明かりが届かない。家のなかでありながら、ほかの部屋とは少しちがう、湿った暗がりです。
そんな場所で、ぴちゃり、と音がする。だれもいないはずなのに。垢嘗の話は、夜の湯殿のそうした心細さとも、深く結びついているように思えます。
することが、そのまま名前に
「垢嘗」という名前は、「垢」を「嘗める(なめる)」という、することそのままです。夜の川辺で小豆を洗う音をたてる小豆洗いのように、妖怪のなかには、することがそのまま名前になったものがいます。
そして、同じ「嘗」の字をもつ仲間がもう一体。古い屋敷の高い天井をなめるという天井嘗です。垢嘗は低くて湿った風呂場、天井嘗は高くて乾いた天井。ならべてみると、家のなかの「手が届きにくいところ」に、それぞれの妖怪が住みついているのがわかります。
どちらの姿も、江戸時代の絵師・鳥山石燕の妖怪画で広く知られるようになりました。石燕についてはこちらの記事でも紹介しています。
今夜お風呂に入ったら、湯船のふちを、ひとなでしてみてください。垢嘗に来てもらう理由は、なくしておきましょう。