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砂かけ婆を見た人はいない — 神社の森に降る砂の言い伝え

砂かけ婆のいちばんのふしぎは、名前に「婆」とついているのに、その姿を見た人がいないとされていることです。言い伝えにあるのは、さびしい森を通ったら、どこからか砂が降ってきた――ただそれだけ。砂かけ婆は、目で見る妖怪ではなく、肌と耳で感じる妖怪なのです。
見えないのに「婆」と呼ばれる
砂かけ婆の話は、民俗学者の柳田國男が、各地の妖怪の名前を集めたなかに奈良県の話として書きとめています。奈良県ではあちこちでいわれていたもので、神社のさびしい森の陰を通ると、砂をぱらぱらとふりかけて人をおどかす。そして、その姿を見た人はいない、という話です。兵庫県にも、同じように砂をかけられる話が伝わっています。
ここで気になるのが、「婆」という名前です。だれも姿を見ていないのなら、おばあさんかどうかもわからないはず。それでも人々は、この見えないものを「婆」と呼びました。
なぜ「婆」なのかは、伝わっていません。けれど、名前をつけることで、得体の知れないものが、少しだけ身近な「だれか」になる。ただの砂ではなく、だれかがまいている砂だと思えば、話として人に聞かせることもできます。名前には、そんな働きもあったのかもしれません。
神社の森という場所
砂かけ婆が出るのは、神社のさびしい森の陰だといわれています。
神社のまわりの森は、木が高く茂り、昼でも薄暗いところが少なくありません。神さまのいる場所として大切にされ、むやみに木を切ったりしない森でもありました。村の中にありながら、ふだんの暮らしとは少しちがう空気が流れる場所。そんな森の陰を、ひとりで、ことに夕暮れどきに通ると、ちょっとした音や気配にも敏感になります。
頭の上で、ぱらぱらと何かが落ちる音がする。見上げても、だれもいない。砂かけ婆の言い伝えは、そうした「森の陰を通るときの心細さ」と、深く結びついているように思えます。
音や気配だけの妖怪たち
姿は見えず、音や感覚だけが伝わる妖怪は、ほかにもいます。
- 小豆洗い(あずきあらい):川のほとりで、小豆をとぐようなしょきしょきという音が聞こえてくる。けれど、のぞいてみても、だれもいないといわれています
- 天狗倒し:山の中で、大きな木を切り倒すような音が響く。ところが行ってみると、倒れた木はどこにもない。昔の人は、これを天狗のしわざと考えました
夜道で行く手をふさぐぬりかべも、もともとは姿のない妖怪でした。そのお話はぬりかべのよみものでも紹介しています。砂、音、通れない道。どれも、見えないけれどたしかに起きた「何か」に、名前をつけたものです。
見えないものを、ドット絵にする
いまでは砂かけ婆というと、漫画やアニメに出てくるおばあさんの姿を思いうかべる人も多いでしょう。けれど、言い伝えのなかの砂かけ婆は、だれにも見られたことのない妖怪です。
そこでピクセル妖怪の図鑑の砂かけ婆のページでは、白い髪と顔だけがうっすら浮かび、体は下へいくほど背景に溶けて消えていく姿で描きました。両手からは砂がはじけ、足もとには砂の山。はっきり見えるのは、まかれた砂のほうです。
さびしい森の道で、頭の上からぱらぱらと音がしたら。見上げても、きっとだれもいないはずです。